「(特)茅野市スポーツ協会の歩み」
昭和30年2月に町8ヶ村が合併して茅野町が誕生した年に茅野町体育協会として発足しました。初代会長には小川一雄町長が就任し、早速氷上大会が開催されたようです。そして地区対抗による町民体育祭・秋季大会が陸上・排球・野球競技で行われ、この大会が茅野市総合体育大会となり、現在まで引き継がれています。
昭和33年8月1日の市政施行により、茅野市体育協会となり体協旗が作成されたようです。
昭和36年体協に「茅野市総合運動施設建設促進委員会」を立ち上げ、スポーツ人口の増大に対応出来るような施設建設の要望書を市に提出しました。
昭和38年7月に茅野市体育連盟と改組・改名し、競技種目別の専門部がそれぞれ協会として独立しました。
このとき野球・卓球・剣道・陸上競技・バスケットボール・バレーボール・相撲・スケート・庭球・柔道・射撃の11協会が参加したようです。これにより公民館と一体で進められてきたスポーツ協会が競技団体主導の体育連盟に生まれ変わりました。
昭和52年前年の総合運動公園野球場の完成などもあり、弱体化していた改組再発足を8月に行い、この時より会長は市長でなく、理事長も教育委員長でない、連盟独自の役員構成になり現在に続いています。
昭和53年やまびこ国体が開催され、茅野市では軟式野球が実施され、翌54年10月に記念事業として市民総合体育祭が行われ、現在の市民スポーツ祭として続いています。また、この年より内部に総務・市民スポーツ振興・競技力向上の3委員会設置し、理事が任務を分担するようになりました。そして63年にはスポーツ少年団育成・施設委員会の2委員会が増設され、現在の5委員会となっています。このスポーツ少年団は同年7月に青少年の健やかな成長を図り、子供と子供を取り巻く地域や人々のスポーツ活動を活発にするため、市の協力を得て茅野市スポーツ少年団を設置しました。当初は10種目の参加がありました。
平成14年4月より、今まで市の体育課で担っていた体育連盟の事務局を独自の事務局として完全に独立した体制となり地域のスポーツ振興に尽くすこととなりました。

また同年法人化検討委員会も始まり、財源の確率と地位の向上を目的に研究を重ねたが、財団法人も社団法人も難点があって諦めかけていたところ、特定非営利活動促進法が設定され、非営利活動を行う市民団体が法人化しやすくなったことを知り、10月に県の説明を受け特定する12分野の中にスポーツが含まれていたのでNPO法人とすることが最善だとして法人化が進められることになりました。市との意見交換・県担当官とのすりあわせなどを行い、平成11年11月に臨時評議委員会を開催して法人化が決定されました。そして平成12年3月26日認証状が交付され、4月1日に特定非営利活動法人茅野市体育協会として新たな第一歩を踏み出しました。体育協会のNPO法人化としては国内第1号となったため、記念式典・祝賀会も盛大に開催されました。平成15年より体協の事業及び運営に関し、女性の参画を求め、女性委員会が設置されました。この立ち上げにより男女共同参画整い、委員長が副会長へ、副委員長の1名が常務理事に就くこととなりました。そして平成31年4月より特定非営利活動法人茅野市スポーツ協会となり現在に至っています。
(特)茅野市スポーツ協会 会長 宮坂 章